鍼道秘訣集の明恵上人と心を曇らす三毒について

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鍼道秘訣集の明恵上人と心を曇らす三毒について

江戸期の腹診書である鍼道秘訣集には、鍼灸師としての心持ちの重要性が述べられています。

色々なたとえ話もあげられており、読み物としても楽しいのですが、今回は、その中でも栂尾の明恵上人のエピソードについて、ご紹介したいと思います。

明恵上人

ということで、まずは鍼道秘訣集の該当部分を現代語訳して載せておきますね。

神に参詣するにも身を清めるは次にして、心の洗浄を専らとします。
心が清ければ魂が清くなりますので、向かいの神もまた清く納受(神仏が祈願を聞き入れること)されます。
いにしえ、栂尾(とがのお)の明恵上人と笠置(かさぎ)の解脱上人という二人の名僧がいました。
この二人は春日大明神が両目、両手の如く思っておられました。
明恵上人が参詣の日は御簾(みす)をあげて直に明恵上人と春日大明神がお話しされ、解脱上人が参詣したときには、御簾を隔ててお話しされていました。
ある日、解脱上人が参詣することがあり、春日大明神にこんなことをお話しされました。
神といいましても仏が民衆を救うため、仮の姿を現して現れたものです。
仏は降る雨が草木国土を漏らさず潤すように、平等にして隔てが全くありません。
ですが、明恵上人と自分を比べると、明恵上人が参詣した際には、直にご対面され、私が参詣した際には、御簾を隔ててお話しされます。
これは納得できませんと問われました。
春日大明神はこれに答えて、私には何も隔てることはありません。
あなたがそういう風に思う心が御簾の隔てとなっているのですとおっしゃられました。
これは、解脱上人の心に慢心があったためです。

ここで、明恵上人をご存じない方のために、簡単にご紹介しておきます。

この方は、華厳宗中興の祖といわれています。
華厳宗は、大方広仏華厳経という初期大乗仏教の根本聖典のひとつを究極の法典として、その思想のよりどころとして、独自の共学体系を立てた宗派です。
その宗派を鎌倉時代前期に広く盛り上げられたのが、栂尾の明恵上人という方です。
そして、明恵上人の教学は華厳を基礎としますが、華厳と真言密教を融合した厳密(ごんみつ)と呼ばれる独自の宗教観を打ち立てました。

弘法の灸などもありますが、これは弘法大師(空海)が広めたお灸といわれ、密教と鍼灸もこれまたゆかりのあるもので、またいつかそんなお話もできればと思います。

と、それはさておき、そうした大本の仏教と真言密教をからめて、非常に実践的な修業を重んじておられた高名な僧侶の方。
それが、明恵上人です。

その明恵上人について鍼道秘訣集の中に書かれているエピソードが、前述したものです。

それを読むと、自分自身の心の持ちようが周りに影響するということが、読み取れるように思います。

ここでは、明恵上人と解脱上人が登場しますが、解脱上人は自分自身で相手に対する隔てを造ってしまい、結局それが現実の事象にも現れてきています。
逆に明恵上人は、そうしたことがなかったわけです。

こうしたことは、我々にもよくあることだと思います。
相手のことを、自分の中の価値観で決めつけてしまって、その先入観で人を見てしまい、結果、それがまた現実にも投影されてくる。

これらのお話は、最近のベストセラーの書籍である”鏡の法則”や”自分の小さな「箱」から脱出する方法”などにも書かれている内容です。

そして、こうした心の持ちようの重要性は、鍼灸師への戒めとして、心持ちの大事として、昔からいわれてきているものです。

私たち鍼灸師こそ、こうしたことをしっかりと考えていく必要があるのだと思います。

素問などにおいては、目に見えない”気”というものと目に見える”形”というものが陰陽で対比されます。
そして、東洋医学では、”気”(陽)が動いて”血”(陰)があとからついてきます。
つまり、自分自身の意識(目に見えないもの:陽)が動くことで、現実の事象(目に見えるもの:陰)がついてくるともいえます。

こうしたことも、現在においては、スピリチュアルな内容として”引き寄せの法則”などといわれています。

私たち鍼灸師には、こうしたことが脈々と引き継がれているわけですので、それを活用しない理由がありませんよね。

そうした意味で、鍼灸師として技を磨く前に、しっかりと心の持ちようを学んでいく必要があると、私は考えています。

では、どのような心の持ちようを持つべきなのか?

前述した明恵上人は、臨終の直前に静かに唱えた華厳経の一説があります。
それが、懺悔文というものです。

どのようなものかといいますと…

我、昔より造りし所の諸(もろもろ)の悪業(あくごう)は
皆、無始の貪(とん)恚(じん)癡(ち)に由り
身口意より生ずる所の
一切を忘れ、今、皆、懺悔し奉る

これを現代語訳すると…

私が昔からなしてきた様々な悪しき行いは
すべて始まりもない太古からの貪りと怒りと愚かさを原因として
身体と言葉と心によってなされたものである
それらすべてを、私は今、みな懺悔する

というような意味です。

ここに出てくるのが、貪欲・瞋恚・愚癡の三毒です。

この三毒をきちんと処理することで、鍼灸の業にも妙を現すことができるようになります。

では、この三毒とはどのようなもので、どう対処していけばいいのか?

そうしたことにつきましては、また次月以降のこのコラムでお話しさせていただこうと思います。

まずは、自分の心のありようが現実を形作るのだ、ということをしっかりと認識していただき、心の持ちようを清くしていくことを意識していただければ、それだけでも鍼灸臨床の質が上がると思いますので、ぜひ実践してみて下さい。

                      馬場乾竹



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