夢でヒントを得る話と杉山流のエピソードについて触れています。

ようこそ

初夢と杉山流

新年あけましておめでとうございます。
和魂漢才鍼灸の足立繁久です。

皆さん、このお正月はいかがお過ごしでしょうか?
そして今年の初夢はいかがでしたか?

私は夢現(ゆめうつつ)の時にですが
鍼治療について思いつくことがあり
今年の診療が始まってからというもの
いろいろと脈診で試しております。

なかなか脈の変化は無窮ですね。
まだ詳しくはここでは書けませんが、
その内に経験と考えを整理して紹介できれば…と考えています。

さて“夢”や“閃き”について、もう少し書いてみます。

“夢のお告げ”…とまではいきませんが
ここ何年かは、夢でヒントを得たり
夢の映像(ビジョン)を治療の糧にすることが多いです。

となると、連想する逸話に、
かの杉山和一先生(杉山流の創始者)のお話も有名ですね。


 写真は『杉山流三部書』

杉山和一先生(以下、敬称略)の逸話は江戸時代の頃から知られてたようで
『耳嚢(耳袋)』にも収録されています。

※耳嚢(以下、耳袋)とは、各地に伝わる不思議な言い伝え・体験談を集めたエピソード集です。
 曲直瀬道三の脈診に関する逸話も収録されていますよ。

さて『耳袋』に載っているエピソードは次の文です。
ーーーーーーーー
杉山検校(杉山和一、伊勢の人、山瀬琢一、入江豊明について鍼術を学ぶ。管鍼を開発。将軍綱吉を治療した功により関東総録検校。元和二年、綱吉の命を受け、鍼治講習所を設けて教授した。その流を杉山流と呼ぶ)

凡下の時、音曲の稽古をしても、無器用にして事行うべしとも思われず、
そのほか何にても、これをもって盲人の生業を送らん事なければ、
深く嘆きて三七日断食して
「生涯の業を授け給え」と丹誠を抽(ぬき)んで、
江の島の弁天の宝前に籠りしが、
何のしるしもなければ、
「しょせん死なんにははしかじ」と
海中へ身を投げしに、
打ち来る波に、はるかの汀(なぎさ)に打上げられしゆえ
「さては命生きん事」と悟りて
弁天へ返申(かえしもうし・お礼参り)しける道にて
脚に障(さわ)る物あり。
取上げてみれば打鍼なり。
「しからばこの鍼治の業をなして名をなさん」と
心底を尽くしけるが、自然とその妙を得て
今、杉山流の鍼治と一流の祖となりしとかや。
ーーーーーーーーー
(引用元は平凡社、東洋文庫207・耳袋1より)
・・・と、記載されています。

この業界では、杉山和一のこの逸話では
つまづいて転んで、手にしたものが松の葉と竹筒(だったかな?)で
この組み合わせに閃いた杉山和一が管鍼法を考案された…と、聴いております。

この『耳袋』では打鍼となっておりますが…

この管鍼か打鍼かの是非は、一旦ここでは置いておきましょう。

ですが、その前の杉山先生の行動が、
現代の我われの感覚からすると、スゴイ!ですね。

・三七日、つまり二十一日の断食を行い
・江の島の弁財天の祠に籠り
・霊験が得られないとみるや身投げする

・・・そこまで切迫したお気持ちは、
現代の鍼灸師からは想像しにくいかもしれません。

ですが、視点を変えるてみましょう。
断食してお堂に籠って願をかけることはできなくても
毎日毎日、何ヶ月も何年も鍼灸のことを考え続ける…
この方が念としては重いものがあります。

そうすることで、いつでも鍼灸のことを考えていると
そのうちに何をしても、何を見ても、何を聴いても
鍼灸、東洋医学のことに結び付けて考えるようになります。

これはひらめきの第一段階だと思うのですね。

私も夢現(ゆめうつつ)の時だけでなく、田んぼや雲や川や山を見て
脈診のことを思いついたりしました。

杉山和一も何もせずに、ただお堂に籠って
神様にお願いした結果、鍼を会得したのではありません。

鍼の師に就いて一心不乱に学び
(耳嚢には琢一流と入江流を学んだと注釈が入っています。)
心の底から精進してからの結果だったと私は思うのです。

杉山和一の逸話・エピソードからは
安易なイメージを受けるかもしれませんが、
そうであって欲しくないなー…と言うのが本音です(^^)

往々にして歴史は結果しか伝えられませんが、
その結果にいたるまでの過程に思いを巡らせる必要があると思います。

特に古典医学を学ぶ者にとっては重要な感性です。

ということで!
2017年も、先人に恥じぬよう
しっかりと精進していきましょう!

和魂漢才鍼灸 足立



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