瘧病について その3
2015-07-15
瘧病シリーズもいよいよ3回目に入ります。
瘧=悪寒&発熱症状ですが、
『“単なる外感病”として理解するのはとても勿体ないことだと思うのです。』
・・・と、そんなことを言い(書き)続けてきましたが
やっとこんな内容に触れるのがこの第3弾です。
『素問』瘧論第三十五
・・・(略)・・・
◆Q1
帝曰く、其の日を間(へだ)てて作する者は何ぞや?
岐伯曰く、其の氣の舍ること深し、内に陰に於いて薄り、
陽気独り発して、陰邪、内に著く(着)けば、陰と陽争い、出るを得ず。
是れ以て日を間(へだ)てて而して作する也。
帝曰く、善し。
・・・・・・・・・
Q1の質問内容は・・・
『瘧(おこり)が一日あけて発作が起こるパターンがありますが、それは何故ですか?』
ということですが・・・
岐伯先生がいうには“病因となる邪が潜伏している深さがポイント”とのこと。
伏邪の浅深・位置によって発作のパターンに影響が表れるのですね。
実際に診断・治療するためには・・・
『脉診・腹診・背候診ではどのような違いが現われるか?』
が目の付けどころでしょうね。
そして、病邪の浅深を見極めるならどの診法が適しているか?
どのような部位に焦点をあてるか?
そんなシュミレーションを行う必要がありますね。
◆Q2
其れ日の晏(遅い)と日の早くに作す者、何の氣の使わしむるか?
岐伯曰く、邪氣、風府に於いて客し、膂を循りて下る。
衛氣は一日一夜、風府に於いて大会す。
其の明日より日に一節を下る。故に其れ作すこと晏(おそ)し也。
此れ先ず脊背に於いて客する也。
風府に至る毎に、則ち腠理開く。
腠理開けば、則ち邪氣入る。
邪氣入るれば、則ち病作す。
此れを以て日に作(おこる)こと稍々益々晏(おそ)き也。
其の風府に出るや、日に下ること一節。
二十五日、下りて骶骨に至る。
二十六日、脊内に入り、伏膂の脈に注ぐ。
其の氣、上に行りて九日に缺盆の中に出る。
其の氣、日に高し、故に作(おこる)こと日に益々早き也。
其の日を間(へだ)てて発する者は、
邪氣、内は五臓に薄りて、横は募原に連なるに由る也。
其の道は遠く、其の氣は深く、其の行くこと遅し。
衛氣と倶に行くこと能はずして、皆な出るを得ず。
故に日を間(へだ)てて乃ち作(おこ)る也。
・・・・・・・・
Q2の質問内容は…
瘧病発作が、一日の中で早い時間(朝)に起きる者と遅い時間(夕暮)に起きる人がいます。
その理由は何故ですか?
との質問。
Q1と内容は似ています。
そしてこれもまた別の角度でみた伏邪の深浅がポイントです。
風府を起点に衛氣の運行などの要因によって、
邪の潜伏場所は刻々と(もしくは個人差や状況により)変化します。
深いところ(陰)に行けば行くほど、発作はタイミングは遅くなり、
浅いところ(陽)であればあるほど、発作のタイミングは早くなります。
伏邪の位置を割り出すことが正確な治療法を導き出すポイントと言えますね。
この文は、かなり興味深いフレーズが多いのです。
特に次の2点は考察すべき課題ですね。
風府の役割り・・・衛氣の運行と深く
伏膂の脈
ここでポイントとなるのは“一日における衛氣の動き”です。
衛氣の動き・周流は『霊枢』そして『難経』にあるように
晝に陽分をめぐり、夜に陰分をめぐります。
この視点からみても、日早は朝で、日晏は夕昏であるのはイメージしやすいですね。
衛氣のめぐり流れるスピードによって、瘧病発作が起こるペースが変わるというのです。
衛氣が巡行するスピードには個体差があります。
その理由としては、個々の条件・体質が大いに影響するでしょう.
衛氣の運行そのものは昼夜という一日周期にも絶対的な影響を受けています。
この点、衛氣の運行は人氣の動きにして天運の氣の影響を多分に受けている…と言えますね。
瘧病を起こすには『瘧病その2』にも書きましたが3つの要素があります。
“伏邪の存在・その深さ”と“人氣の動き”と“天運の氣の影響”です。
Q1の内容は、伏邪の深さが要素となっています。
Q2の内容は、“衛氣の運行=人氣の動き”と“天運の氣による人体への影響”(一日のバイオリズム)
・・・と、こんな風にみることもできそうですね。
(※衛氣の流れる個人差については営衛生会第十八や衛氣行第七十六に詳しい)
さらに興味深いお話が続きます…
邪気が風府に侵入し、そこに居すわる…と、岐伯先生は仰ります。
しかも、衛氣は一日24時間のうち、“風府に於いて大集合”するというのです。
風府は衛氣の運行にとってでも大事な要所なのです。
いつするか?
早朝・平旦のときでしょ!とのこと。
へーーなるほど~って、感じです。
やっぱり、早朝・日の出の光を浴びるのって大事なんですね。
詳しくは後ほど詳述。
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このパートには興味深いフレーズが2つあります。
ひとつめは“五臓に薄りて、募原に連なる”という言葉。
『内薄於五臓、横連募原也』
特に気になるのは“募原”です。
この言葉は『内経』にしばしば登場する言葉です。
この瘧病が発生する病理を考えると、
“募原”の位置・深さもより具体的にイメージできそうですね。
ふたつめは“伏膂の脈”というキーワード。
『霊枢』歳露篇第七十九では
伏衝の脈という言葉が登場しています。
伏膂の脈については
『素問識』張云う、膂とは・・・一に曰う、脊を挟む両傍の肉を膂と曰う。
とあります。
脊椎を挟む肉・・・というと、現代医学風にいうと脊柱起立筋ですが
この脊柱起立筋の表裏にある部位・・・ここにどんな脈が走っているのか?
こんな風に考えると、瘧病に関しる章で
かたや督脈ベースの“伏膂の脈”という表現。
かたや●脈ベースでの“伏衝の脈”という表現。
而してここで言う伏●の脈というのは表裏一体なのでは???という発想が生まれてきますね。
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帝曰く、夫れ子の言う、
衛氣、風府に於いて至る毎に、腠理乃ち発す。
発するときは則ち邪氣入る。入るれば則ち病作す。
今、衛氣日に下ること一節、其の氣の発するや、風府に當らずして其の日に作る者はいかに?
岐伯曰く、此れ邪氣が頭項に客し、膂を循り而して下る者なり。
故に虚實同じからず。
邪、異なる所に中れば、則ち其の風府に當ることを得ざる。
故に邪、頭項に於いて中る者、氣が頭項に至りて而して病む。
背に於いて中る者、氣が背に至りて而して病む。
腰脊に於いて中る者、氣が腰脊に至りて而して病む。
手足に於いて中る者、氣が手足に至りて而して病む。
衛氣の所在、邪氣と相い合して、則ち病作す。
故に風は常の府(あつまる所)(が)無し。
衛氣の発する所、必ず其の腠理を開く、邪氣の合する所、則ち其れ府なり。
帝曰く、善し。
夫れ風と瘧と、相い似て類を同じくす、
而して風は独り常に在り、瘧が時有るを得て而して休む者は何か?
岐伯曰く、風氣は其の處に留める故に常に在り。
瘧氣は経絡に随いて、沈みて以て内に薄る、故に衛氣応じて乃ち作す。
(※阪村先生曰く、ここの風は風論の風とのこと)